人生で大切なことは全てメタルから教わった
すみません、タイトルはちょっと盛りました。「全て」は言い過ぎですね。色々な人、様々なことから日々人生で大切なことを学ばせて頂いています。
でも、20数年に渡ってメタルを聴き続け、メタル・シーンというものの趨勢を見てきたことで、メタルを聴いていなかったら知ることができなかった、人生にとって大切なことを知ることができたと思っています。
その「メタルが教えてくれたこと」をお伝えすることで、METALGATE BLOGとしての最後のエントリーにしようかな、と思います。
◆世の中で評価されていないものの中にも、自分にとって良いものはあるということ。
私がメタルを聴き始める前から、「ヘビメタ」といえばキワモノ音楽の代名詞でした。某バラエティ番組の影響もあり、メタルという音楽に触れる以前から「ヘビメタ」という言葉は知っていましたが、自分の人生には無縁のものだろうと思っていました。
しかし、気付いたときには無縁だったはずの「ヘビメタ」にすっかり人生を捧げ、メタル無しでは生きていけない身体になっていたのです。いや冗談ではなく、十代から二十代初頭の時期、身体がメタルを欲していました。あれはもう「好き」なんて言葉では語り切れない境地でしたね。
今でも「メタルが好き」というと周りの人は少なからず引きます。引かないまでも「ゲテモノ好き」扱いに近い好奇の目で見られます。それは私にしてみればメタルの魅力がちゃんと認知されていないことに端を発する風評被害のようなものですが、そういう現実の状況は簡単に変えることはできません。
だから私は、世の中の評判を参考にはしても、完全には信じません。周りの人や世間が最悪だ、というものや人であっても、実際に自分で体験して/会ってみるまで評価はしません。何しろ世の中でこれだけ偏見を持たれているメタルが、自分にとってはまさに最高の音楽だったわけですから。
◆自分が最高と思うのものでも、他人にとってはそうでないこともあるということ
前の話とは反対の事実ですが、これもまた重要なことです。
私はメタルが世の中で評価されないのは、その魅力がちゃんと知られていないからだ、と思っています。だからこそ、その魅力を伝えるべくわざわざこうしてサイトを作っているわけです。
もちろんサイトを作る前から、周りにいる友人などにオススメのメタルを聴かせて「布教」に努めていたことは言うまでもありません。
ただ、実際それでメタルの魅力に目覚める者もいないではありませんでしたが、「全く良さがわからない」というリアクションをされることの方が多かったですし、あるいは自分がオススメと思っていた曲ではない曲が好き、などと言われたり、あるいは自分が好きではないバンドによってメタルに目覚める、などということが往々にしてありました。
そう、今となっては当たり前のことですが、人の感性は千差万別なのです。私が最高だと思うものを最低だと思う人、逆に私が最低だと思うものを最高だと感じる人がいるのです。それは、偏見や無理解の問題ではなく、ただの差異なのです。
人間、往々にして自分が好きなものや自分の考えを理解しない人間を馬鹿だと思って見下してしまうことがあります。しかし、それはただの価値観や好みの相違であって、そこに優劣はありません。
学問や思想などのフィールドだと、勉強量の多寡なども影響するので優劣の問題に帰せられてしまうこともありますが、音楽という純粋に感性のフィールドで長年他者と向き合ってきたことで、価値観や感性の差異は優劣と無関係である、ということを心から納得することができたのは私の人生にとって大きかったな、と思っています。その認識なしで、まともなコミュニケーションなどありえませんから。
◆人生、どのタイミングでピークがやってくるかわからないということ
これは特に2000年代後半以降感じたことなのですが、人生っていつ報われるかわからないものだなあと、メタル・シーンを観ていて感じています。
端的な話をすると、私が好きなGAMMA RAYが(カイ・ハンセンが、というべきでしょうか)、クリエイティビティの頂点にあったのはぶっちゃけ90年代だと思っています。
しかし、母国ドイツのチャート的な意味で最も成功しているのはむしろ近年のことであり、そういう意味で、必ずしもやったことのクオリティと、世の中の評価というのは結び付かないし、成功する・しないというのはタイミングの問題だったりするのだな、ということをメタル・シーンを見ていて感じさせられました。
以前、ドイツのベテラン・メタル・バンドが好調であるというエントリーを書きましたが、一般に20代で成功をつかむことが多いポピュラー・ミュージック業界において、50歳が見えてくるようなタイミングで成功をつかむ人たちもいる。
そういったバンドは、メタル不遇の時代を乗り越えて、地道に活動してきたバンドがほとんどで、もちろんそういうバンドの全てが報われているというわけではないにせよ、そういう報われ方もあるんだな、という実例がドイツのベテラン・パワー・メタル・バンドでした。
私の人生も、それほど劇的なものではないにせよ、好不調の波はあったりするわけですが、不調の時でも腐らずに、そういうときもあるさ、タイミングが悪いだけ、と自分に言い聞かせて自分にできることを割り切って地道にやっていく、そういう強さをドイツのメタル・バンドから教わりました。
◆トレンドを後追いしてもうまく行かないということ
これは、90年代にメタル・ファンであった人なら多くの人が痛感させられているのではないでしょうか。
グランジ/オルタナティブ・ブーム。91年から96年くらいにかけてヘヴィ・ロック・シーンにおいて猛威を振るったトレンドです。
このブームの中で、数多くのメタル・バンドが解散や活動停止に追い込まれていきました。
しかし、このブームの何がダメだったかって、それはNIRVANAやSOUNDGARDENといった、トレンドを主導したバンドではないのです。むしろそれらのバンドはメタル・ファンである私の目から見ても(好き嫌いは別として)悪くないバンドだったと思います。
ダメだったのは、そのトレンドに乗っかって、全く自分たちの本質的な魅力から離れた中途半端な「グランジ/オルタナティブ風」アルバムを出してファンにそっぽを向かれたHR/HMバンドでした。
まあ、ダメなアルバムを挙げて行ったらそれだけで一本特集記事が組めますが、パッと思いついたのはDOKKENとQUEENSRYCHEですかね。
ただ、90年代以降最も成功したメタル・アルバムであるMETALLICAの「ブラック・アルバム」も、ある意味「グランジ/オルタナティブ風」アルバムでした。あのアルバムにALICE IN CHAINSやSOUNDGARDENからの影響が皆無だといったら嘘になるでしょう。
ではなぜMETALLICAは成功し、それ以外のバンドはダメだったのか?
METALLICAはその時点で既に不動のカリスマ性を築き上げていた。「ブラック・アルバム」の曲が良かった。それは事実です。しかし、それらの要素と同じくらい重要なのが、同作がリリースされた91年の時点では、まだグランジ/オルタナティブのサウンド自体が世間一般的には目新しいものだった、ということです。
92年以降はもうグランジ/オルタナティブはメインストリーム化し、HR/HMの退潮は誰の目にも明らかでした。そんなタイミングでグランジ/オルタナティブ寄りのアルバムを出しても、後追い感が否めず、正直そういう行為自体が「ダサかった」と言わざるを得ません。
きっとMETALLICAは、本気でグランジ/オルタナティブのサウンドが「クールだ」と思ったのでしょう。だからあれだけ早いタイミングで自分のものにして、シーンを先取りすることができた。
一方、グランジ/オルタナティブの魅力が理解できず(そのこと自体は別に悪いことではありませんが)、とりあえず流行ってるから俺たちも乗ってみるか、という感じで「グランジ/オルタナティブ風」のアルバムをリリースしたバンドは総コケ。
そりゃそうです。バンドが元々持っていた魅力を放棄して、それでいてグランジ/オルタナティブの魅力の本質も実はよくわからずに、レコード会社の圧力に負けて上っ面だけ模倣したサウンドを出しても、HR/HMファンにもそっぽを向かれ、グランジ/オルタナティブのファンにも相手にされないのは当然のこと。
もちろんあの時代、頑なにHR/HMにこだわった所で、商業的に厳しかったであろうことは確かでしょう。グランジ/オルタナティブに転向せずとも、解散やインディー落ちに追い込まれていたであろうことは想像に難くありません。まして、メジャー・レーベルに所属していたら、レコード会社の意向を無視することは現実的には難しかったでしょう。
それでもここから「流行りモノに後追いで乗っかっても成功しない」「自分の本質と違うことを無理矢理やってもうまく行かない」という教訓を、我々は学ぶことができるのではないでしょうか。
◆好きなことをやるより、求められることをやるべきだということ
これはメタル・シーンがどうこうというか、端的に言うとマイケル・キスクという人を見ていて一番感じたことですね。
マイケル・キスクという希代のハイトーン・ヴォーカリストが、その適性にもかかわらずあまりメタルを好んでいないことはよく知られています。
そしてHELLOWEENの音楽性を迷走させた(これは必ずしもマイケルだけのせいではないのかもしれませんが)挙句に脱退して、HR/HMファンには退屈な、かといってHR/HM以外の音楽ファンに受けるかというとそれもまた疑問なソロ・キャリアを始めました。
ソロ活動なわけですから、予算等の制約はあるにせよ、基本的にそこでマイケルは「やりたいこと」をやっていたはずです。しかし、『BURRN!』誌のインタビューなどを読む限り、あまりマイケルはハッピーに見えませんでした(マイケルはいささか偏屈な性格の持ち主なので、ハッピーさを素直に出さなかっただけかもしれませんが)。
むしろ、AVANTASIAやUNISONICで好きではないはずのメタルを歌わされている現在の方が楽しそうな印象を受けます(直接話したわけではないので実際のところはわかりませんけれども)。
そして少なくとも、ファンとしては現在のマイケルの活動状況のほうがハッピーであることは間違いありません。
マズローの欲求段階説というのは、懐疑的な意見もありますが、基本的に私は納得していて、やはり人間「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「自我欲求(承認欲求)」が満たされた上でないと、その上の「自己実現欲求」を満たすことはできないと思うんですよね。
マイケルはいわば、メタルを歌うことで得られる承認欲求を放棄して、自己実現欲求を満たすことに挑んでいたのだと思います。それは普通の人間にはやはり無理があります。
人間、ある程度の年齢になると、可能性の幅というのは狭まってきます。一個人にとって社会的に求められる「自分ができること」というのは、そんなに多くないのです。
マイケルには(それほど広くはないとはいえ)多くのファンに期待される能力があった。しかしあえてそれを無視した。結果的にそのことでマイケルもファンも誰もハッピーにならなかったと思います。
もしマイケルがHELLOWEENなりGAMMA RAYなり、あるいはそれ以外のバンドでもいいのですが、彼の歌声に相応しい、メロディックなメタルを歌い続けた上で、二足のわらじでああいうソロ・プロジェクトをやる分には、きっとファンも好意的に受け止めたのではないかと思います。
マイケルに限らず、多くのバンドが「原点回帰」することで再び注目を集めている状況を考えると、やはり色々なことをやって成功できる人というのは極めて限られていて、普通の人は「自分が一番周りの評価を得られること」で勝負するべきなのだと思います。
こういう考え方には異論もあると思います。人間生まれてきたからには周りを気にせずやりたいことをやるべきだ、と。就職活動の時期なんかには特にそういう意識が高まりますね。
ただ、そういう人でも「やりたいことをやる前に、やるべきことをちゃんとやることが大切」という言い方であれば、ご理解いただける部分もあるのではないでしょうか。
では「やるべきこと」とは何か。「やりたいこと」は自分一人で決まることですが、「やるべきこと」は、社会が決めます。社会というと大げさな感じですが、社会とはつまるところ「人の関わり」のことですから、自分に関係する人たち、と考えればいいでしょう。自分のことを支えてくれる人たち、と考えると、どう向き合うべきかがわかりやすいと思います。
人は社会に求められる役割を果たして初めて、自分のやりたいことを追求する資格を得る。もちろん、その2つが一致していることが理想的ですが、もし食い違ったときには周囲の、自分を支えてくれる人たちの期待に応えることを選ぶほうが、自分も含め多くの人を幸せにする、という現実をマイケル・キスクというサンプルを通じてわかりやすい形で実感することができました。
以上、何だか説教臭くなりましたが、私がメタルを聴き続けていて学んだ、「人生で大切な(と思う)こと」です。
これらはひょっとするとメタル以外からも学べることなのかもしれませんが、私の場合は人生で一番深く長く関わったものがメタルだったので、メタルから教わりました。
上記のこと以外にも、アメリカやイギリスといった有名な国だけでなく、ドイツや北欧をはじめとする大陸ヨーロッパ諸国、ブラジルをはじめとする南米など、あまり日本で注目されない地域にも優れた文化がある、という意識を持てたのはメタルのおかげですね。
まあ、そんな教訓云々をさておいても、純粋にサウンドが与えてくれた興奮・感動・快感・カタルシス、そういったものこそがHR/HMの魅力そのものであり、そのサウンドにどれだけ私が人生において救われ、鼓舞され、勇気づけられたか、それはとても文章では語り尽くせません。
私の人生に大きなものをもたらしてくれたメタルに対する無限の感謝を表明し、300万に及ぶ、メタルという決して間口の広くない音楽に特化した個人ブログとしては望外のPVに恵まれた「METALGATE BLOG」としての最後のエントリーにしたいと思います。これまでご愛読いただいた読者の皆さんにもあらためて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
でも、20数年に渡ってメタルを聴き続け、メタル・シーンというものの趨勢を見てきたことで、メタルを聴いていなかったら知ることができなかった、人生にとって大切なことを知ることができたと思っています。
その「メタルが教えてくれたこと」をお伝えすることで、METALGATE BLOGとしての最後のエントリーにしようかな、と思います。
◆世の中で評価されていないものの中にも、自分にとって良いものはあるということ。
私がメタルを聴き始める前から、「ヘビメタ」といえばキワモノ音楽の代名詞でした。某バラエティ番組の影響もあり、メタルという音楽に触れる以前から「ヘビメタ」という言葉は知っていましたが、自分の人生には無縁のものだろうと思っていました。
しかし、気付いたときには無縁だったはずの「ヘビメタ」にすっかり人生を捧げ、メタル無しでは生きていけない身体になっていたのです。いや冗談ではなく、十代から二十代初頭の時期、身体がメタルを欲していました。あれはもう「好き」なんて言葉では語り切れない境地でしたね。
今でも「メタルが好き」というと周りの人は少なからず引きます。引かないまでも「ゲテモノ好き」扱いに近い好奇の目で見られます。それは私にしてみればメタルの魅力がちゃんと認知されていないことに端を発する風評被害のようなものですが、そういう現実の状況は簡単に変えることはできません。
だから私は、世の中の評判を参考にはしても、完全には信じません。周りの人や世間が最悪だ、というものや人であっても、実際に自分で体験して/会ってみるまで評価はしません。何しろ世の中でこれだけ偏見を持たれているメタルが、自分にとってはまさに最高の音楽だったわけですから。
◆自分が最高と思うのものでも、他人にとってはそうでないこともあるということ
前の話とは反対の事実ですが、これもまた重要なことです。
私はメタルが世の中で評価されないのは、その魅力がちゃんと知られていないからだ、と思っています。だからこそ、その魅力を伝えるべくわざわざこうしてサイトを作っているわけです。
もちろんサイトを作る前から、周りにいる友人などにオススメのメタルを聴かせて「布教」に努めていたことは言うまでもありません。
ただ、実際それでメタルの魅力に目覚める者もいないではありませんでしたが、「全く良さがわからない」というリアクションをされることの方が多かったですし、あるいは自分がオススメと思っていた曲ではない曲が好き、などと言われたり、あるいは自分が好きではないバンドによってメタルに目覚める、などということが往々にしてありました。
そう、今となっては当たり前のことですが、人の感性は千差万別なのです。私が最高だと思うものを最低だと思う人、逆に私が最低だと思うものを最高だと感じる人がいるのです。それは、偏見や無理解の問題ではなく、ただの差異なのです。
人間、往々にして自分が好きなものや自分の考えを理解しない人間を馬鹿だと思って見下してしまうことがあります。しかし、それはただの価値観や好みの相違であって、そこに優劣はありません。
学問や思想などのフィールドだと、勉強量の多寡なども影響するので優劣の問題に帰せられてしまうこともありますが、音楽という純粋に感性のフィールドで長年他者と向き合ってきたことで、価値観や感性の差異は優劣と無関係である、ということを心から納得することができたのは私の人生にとって大きかったな、と思っています。その認識なしで、まともなコミュニケーションなどありえませんから。
◆人生、どのタイミングでピークがやってくるかわからないということ
これは特に2000年代後半以降感じたことなのですが、人生っていつ報われるかわからないものだなあと、メタル・シーンを観ていて感じています。
端的な話をすると、私が好きなGAMMA RAYが(カイ・ハンセンが、というべきでしょうか)、クリエイティビティの頂点にあったのはぶっちゃけ90年代だと思っています。
しかし、母国ドイツのチャート的な意味で最も成功しているのはむしろ近年のことであり、そういう意味で、必ずしもやったことのクオリティと、世の中の評価というのは結び付かないし、成功する・しないというのはタイミングの問題だったりするのだな、ということをメタル・シーンを見ていて感じさせられました。
以前、ドイツのベテラン・メタル・バンドが好調であるというエントリーを書きましたが、一般に20代で成功をつかむことが多いポピュラー・ミュージック業界において、50歳が見えてくるようなタイミングで成功をつかむ人たちもいる。
そういったバンドは、メタル不遇の時代を乗り越えて、地道に活動してきたバンドがほとんどで、もちろんそういうバンドの全てが報われているというわけではないにせよ、そういう報われ方もあるんだな、という実例がドイツのベテラン・パワー・メタル・バンドでした。
私の人生も、それほど劇的なものではないにせよ、好不調の波はあったりするわけですが、不調の時でも腐らずに、そういうときもあるさ、タイミングが悪いだけ、と自分に言い聞かせて自分にできることを割り切って地道にやっていく、そういう強さをドイツのメタル・バンドから教わりました。
◆トレンドを後追いしてもうまく行かないということ
これは、90年代にメタル・ファンであった人なら多くの人が痛感させられているのではないでしょうか。
グランジ/オルタナティブ・ブーム。91年から96年くらいにかけてヘヴィ・ロック・シーンにおいて猛威を振るったトレンドです。
このブームの中で、数多くのメタル・バンドが解散や活動停止に追い込まれていきました。
しかし、このブームの何がダメだったかって、それはNIRVANAやSOUNDGARDENといった、トレンドを主導したバンドではないのです。むしろそれらのバンドはメタル・ファンである私の目から見ても(好き嫌いは別として)悪くないバンドだったと思います。
ダメだったのは、そのトレンドに乗っかって、全く自分たちの本質的な魅力から離れた中途半端な「グランジ/オルタナティブ風」アルバムを出してファンにそっぽを向かれたHR/HMバンドでした。
まあ、ダメなアルバムを挙げて行ったらそれだけで一本特集記事が組めますが、パッと思いついたのはDOKKENとQUEENSRYCHEですかね。
ただ、90年代以降最も成功したメタル・アルバムであるMETALLICAの「ブラック・アルバム」も、ある意味「グランジ/オルタナティブ風」アルバムでした。あのアルバムにALICE IN CHAINSやSOUNDGARDENからの影響が皆無だといったら嘘になるでしょう。
ではなぜMETALLICAは成功し、それ以外のバンドはダメだったのか?
METALLICAはその時点で既に不動のカリスマ性を築き上げていた。「ブラック・アルバム」の曲が良かった。それは事実です。しかし、それらの要素と同じくらい重要なのが、同作がリリースされた91年の時点では、まだグランジ/オルタナティブのサウンド自体が世間一般的には目新しいものだった、ということです。
92年以降はもうグランジ/オルタナティブはメインストリーム化し、HR/HMの退潮は誰の目にも明らかでした。そんなタイミングでグランジ/オルタナティブ寄りのアルバムを出しても、後追い感が否めず、正直そういう行為自体が「ダサかった」と言わざるを得ません。
きっとMETALLICAは、本気でグランジ/オルタナティブのサウンドが「クールだ」と思ったのでしょう。だからあれだけ早いタイミングで自分のものにして、シーンを先取りすることができた。
一方、グランジ/オルタナティブの魅力が理解できず(そのこと自体は別に悪いことではありませんが)、とりあえず流行ってるから俺たちも乗ってみるか、という感じで「グランジ/オルタナティブ風」のアルバムをリリースしたバンドは総コケ。
そりゃそうです。バンドが元々持っていた魅力を放棄して、それでいてグランジ/オルタナティブの魅力の本質も実はよくわからずに、レコード会社の圧力に負けて上っ面だけ模倣したサウンドを出しても、HR/HMファンにもそっぽを向かれ、グランジ/オルタナティブのファンにも相手にされないのは当然のこと。
もちろんあの時代、頑なにHR/HMにこだわった所で、商業的に厳しかったであろうことは確かでしょう。グランジ/オルタナティブに転向せずとも、解散やインディー落ちに追い込まれていたであろうことは想像に難くありません。まして、メジャー・レーベルに所属していたら、レコード会社の意向を無視することは現実的には難しかったでしょう。
それでもここから「流行りモノに後追いで乗っかっても成功しない」「自分の本質と違うことを無理矢理やってもうまく行かない」という教訓を、我々は学ぶことができるのではないでしょうか。
◆好きなことをやるより、求められることをやるべきだということ
これはメタル・シーンがどうこうというか、端的に言うとマイケル・キスクという人を見ていて一番感じたことですね。
マイケル・キスクという希代のハイトーン・ヴォーカリストが、その適性にもかかわらずあまりメタルを好んでいないことはよく知られています。
そしてHELLOWEENの音楽性を迷走させた(これは必ずしもマイケルだけのせいではないのかもしれませんが)挙句に脱退して、HR/HMファンには退屈な、かといってHR/HM以外の音楽ファンに受けるかというとそれもまた疑問なソロ・キャリアを始めました。
ソロ活動なわけですから、予算等の制約はあるにせよ、基本的にそこでマイケルは「やりたいこと」をやっていたはずです。しかし、『BURRN!』誌のインタビューなどを読む限り、あまりマイケルはハッピーに見えませんでした(マイケルはいささか偏屈な性格の持ち主なので、ハッピーさを素直に出さなかっただけかもしれませんが)。
むしろ、AVANTASIAやUNISONICで好きではないはずのメタルを歌わされている現在の方が楽しそうな印象を受けます(直接話したわけではないので実際のところはわかりませんけれども)。
そして少なくとも、ファンとしては現在のマイケルの活動状況のほうがハッピーであることは間違いありません。
マズローの欲求段階説というのは、懐疑的な意見もありますが、基本的に私は納得していて、やはり人間「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「自我欲求(承認欲求)」が満たされた上でないと、その上の「自己実現欲求」を満たすことはできないと思うんですよね。
マイケルはいわば、メタルを歌うことで得られる承認欲求を放棄して、自己実現欲求を満たすことに挑んでいたのだと思います。それは普通の人間にはやはり無理があります。
人間、ある程度の年齢になると、可能性の幅というのは狭まってきます。一個人にとって社会的に求められる「自分ができること」というのは、そんなに多くないのです。
マイケルには(それほど広くはないとはいえ)多くのファンに期待される能力があった。しかしあえてそれを無視した。結果的にそのことでマイケルもファンも誰もハッピーにならなかったと思います。
もしマイケルがHELLOWEENなりGAMMA RAYなり、あるいはそれ以外のバンドでもいいのですが、彼の歌声に相応しい、メロディックなメタルを歌い続けた上で、二足のわらじでああいうソロ・プロジェクトをやる分には、きっとファンも好意的に受け止めたのではないかと思います。
マイケルに限らず、多くのバンドが「原点回帰」することで再び注目を集めている状況を考えると、やはり色々なことをやって成功できる人というのは極めて限られていて、普通の人は「自分が一番周りの評価を得られること」で勝負するべきなのだと思います。
こういう考え方には異論もあると思います。人間生まれてきたからには周りを気にせずやりたいことをやるべきだ、と。就職活動の時期なんかには特にそういう意識が高まりますね。
ただ、そういう人でも「やりたいことをやる前に、やるべきことをちゃんとやることが大切」という言い方であれば、ご理解いただける部分もあるのではないでしょうか。
では「やるべきこと」とは何か。「やりたいこと」は自分一人で決まることですが、「やるべきこと」は、社会が決めます。社会というと大げさな感じですが、社会とはつまるところ「人の関わり」のことですから、自分に関係する人たち、と考えればいいでしょう。自分のことを支えてくれる人たち、と考えると、どう向き合うべきかがわかりやすいと思います。
人は社会に求められる役割を果たして初めて、自分のやりたいことを追求する資格を得る。もちろん、その2つが一致していることが理想的ですが、もし食い違ったときには周囲の、自分を支えてくれる人たちの期待に応えることを選ぶほうが、自分も含め多くの人を幸せにする、という現実をマイケル・キスクというサンプルを通じてわかりやすい形で実感することができました。
以上、何だか説教臭くなりましたが、私がメタルを聴き続けていて学んだ、「人生で大切な(と思う)こと」です。
これらはひょっとするとメタル以外からも学べることなのかもしれませんが、私の場合は人生で一番深く長く関わったものがメタルだったので、メタルから教わりました。
上記のこと以外にも、アメリカやイギリスといった有名な国だけでなく、ドイツや北欧をはじめとする大陸ヨーロッパ諸国、ブラジルをはじめとする南米など、あまり日本で注目されない地域にも優れた文化がある、という意識を持てたのはメタルのおかげですね。
まあ、そんな教訓云々をさておいても、純粋にサウンドが与えてくれた興奮・感動・快感・カタルシス、そういったものこそがHR/HMの魅力そのものであり、そのサウンドにどれだけ私が人生において救われ、鼓舞され、勇気づけられたか、それはとても文章では語り尽くせません。
私の人生に大きなものをもたらしてくれたメタルに対する無限の感謝を表明し、300万に及ぶ、メタルという決して間口の広くない音楽に特化した個人ブログとしては望外のPVに恵まれた「METALGATE BLOG」としての最後のエントリーにしたいと思います。これまでご愛読いただいた読者の皆さんにもあらためて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
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