映画『ランディ・ローズ』感想
死後40年経ってなお未だに高い人気を誇り、昨年2021年には「ロックの殿堂」入りを果たしたギタリスト、ランディ・ローズのドキュメンタリー映画『ランディ・ローズ(原題:"Randy Rhoads: Reflections of a Guitar Icon")』を観てきました。
先月11月11日に公開されており、ここしばらく忙しかったので観ることができず、さすがに公開から1ヶ月以上経っているしもう上映終了しているかな…と思ったらまだ上映されていたので新宿シネマカリテに足を運びました。
96席のミニシアターで半分以下の埋まり方だったので、せいぜい40人くらいの観客だったでしょうか。当然ながら年齢層と男性率が高めでした(苦笑)。
内容はランディの生涯を辿るドキュメンタリーですが、彼の名前を有名にしたOZZY OSBOURNE時代ではなく、QUIET RIOT時代により多くの時間を割いているのが特徴。
Wikipediaによると「この映画は2007年に制作されたもののランディの遺族が納得いかず没になったもので、それをランディ没後40周年に合わせて手を加え、遺族には一言の断りもなく完成させた。オジー・オズボーンには承認を求めたが拒否された為にオジーの楽曲は一切使用されていない」とのことなので、色々事情あってこうなっているのかもしれませんが(一応、オジーは登場します。さすがに)。
そんないわくつきとはいえ、驚いたのはメジャー・レーベルとの契約すらできなかったQUIET RIOT時代の映像や写真がかなり豊富に残っていたことで、そういう意味での資料的な価値は高いと思われます。
写真の豊富さは、QUIET RIOTのヴォーカリストだったケヴィン・ダブロウが写真が趣味で、カメラ友達がバンド専属カメラマンをやっていてくれたからという事情がありそうです。
ランディ・ローズの恋人はケヴィン・ダブロウの元カノで、ファーストデートはディズニーランドだった、なんてのは少なくとも私にとっては初耳学でした。
15歳でQUIET RIOTのライブに魅了されてファンクラブを組織し、18歳にしてレコード会社への契約嘆願デモまで組織したという女性の存在など、QUIET RIOTは人に恵まれていたバンドだったんだな、と思いました。
ランディ在籍時のQUIET RIOTについては、アルバムが日本だけでリリースされていたというのは割と有名な話ですが、本作に「証言者」として一番高頻度で登場する当時のQUIET RIOTのドラマー、ドリュー・フォーサイスは「日本人は音楽よりもルックスを評価する。ルックスも大事なんだなと思い知らされたよ」と皮肉っぽく日本人のことをディスっていました(苦笑)。
まあ、日本先行で人気が出たバンドというとQUEENだったりCHEAP TRICKだったりBON JOVIだったり、なんだかんだルックスがいい(全員ではないにせよ)バンドが多く、QUIET RIOTが日本だけでリリースされていた時期に日本で人気だった洋楽ロック・バンドというとBAY CITY ROLLERSなので、否定はできないなと(笑)。
スクリーンで見ていて印象的なのは、なんといってもランディ・ローズの美しさで、ランディが伝説化した理由の一因は音楽的な部分もさることながら、なんだかんだ言ってルックスによる所も大きいと思います。
ランディ・ローズのルックスはいわゆる「優男」であり、日本人には非常に好まれそうなタイプの容姿だと思いますが、例えばRATTだと優男系のウォーレン・デ・マルティーニよりもワイルドなロビン・クロスビーの方が人気があったというアメリカ人にとってはどうなのでしょうか。
ランディがギタリストとしていかに凄かったか、ということはもはや伝説になっているので皆そう言うのは当たり前というか、そもそもアメリカ人はリップサービス過剰なのであまり真に受けるのもどうかと思いますが、人柄についても様々なエピソードから謙虚なナイスガイだったことが明らかで、その辺も日本人好みなキャラクターだなと思います。
ランディ・ローズのプレイの特徴とされるクラシカルな要素については楽曲レベルで顕著に表れているのは"Mr. Crowley"や"Revelation (Mother Earth)、"Diary Of A Madman"といった曲に限られると個人的には思っています(もちろんエッセンスとしてはそれ以外の曲にも散りばめられているので、ちょっと了見の狭い意見かもしれません)。
ランディはOZZY OSBOUENEを脱退してもっとクラシックの勉強を学びたいと言っていたそうなので、もし生きていたらOZZY OSBOURNEのバンドではないにせよ、よりクラシカルなプレイを極め、そういう楽曲を書いてくれたのではないかと思うと残念でなりません。
一方で、人というのは他人の期待通りに生きてはくれないものなので、もしかしたら趣味が高じてクラシック・ギタリストになってしまい、メタル・ファンとは関係のない世界に行ってしまったかもしれませんし、映画中でも語られている通り、ランディの本質はクラシックではなくロックだ、ということに本人が気づいて、普通にメタル・ギタリストとして名声を高めていたかもしれません。
下手すると90年代にはグランジに目覚めてしまっていたかもしれないし、OZZY OSBOURNEのバンドを脱退・再加入を繰り返す、みたいなザック・ワイルド的な存在になっていたかもしれず、こればかりは何とも言えませんね。
本作はさすがにぼちぼち上映終了してしまうと思いますが(シネマカリテでは12月22日までと告知されています)、基本的にインタビューと過去の写真をメインにしたドキュメンタリー映像なので、ぶっちゃけ大画面で観る必然性は薄く、そのうちサブスクで観られるようになると思いますので(?)、観たかったけど上映中に観に行けなそう、という人はそれからでも遅くないと思います(笑)。
◆映画『ランディ・ローズ』公式サイト

先月11月11日に公開されており、ここしばらく忙しかったので観ることができず、さすがに公開から1ヶ月以上経っているしもう上映終了しているかな…と思ったらまだ上映されていたので新宿シネマカリテに足を運びました。
96席のミニシアターで半分以下の埋まり方だったので、せいぜい40人くらいの観客だったでしょうか。当然ながら年齢層と男性率が高めでした(苦笑)。
内容はランディの生涯を辿るドキュメンタリーですが、彼の名前を有名にしたOZZY OSBOURNE時代ではなく、QUIET RIOT時代により多くの時間を割いているのが特徴。
Wikipediaによると「この映画は2007年に制作されたもののランディの遺族が納得いかず没になったもので、それをランディ没後40周年に合わせて手を加え、遺族には一言の断りもなく完成させた。オジー・オズボーンには承認を求めたが拒否された為にオジーの楽曲は一切使用されていない」とのことなので、色々事情あってこうなっているのかもしれませんが(一応、オジーは登場します。さすがに)。
そんないわくつきとはいえ、驚いたのはメジャー・レーベルとの契約すらできなかったQUIET RIOT時代の映像や写真がかなり豊富に残っていたことで、そういう意味での資料的な価値は高いと思われます。
写真の豊富さは、QUIET RIOTのヴォーカリストだったケヴィン・ダブロウが写真が趣味で、カメラ友達がバンド専属カメラマンをやっていてくれたからという事情がありそうです。
ランディ・ローズの恋人はケヴィン・ダブロウの元カノで、ファーストデートはディズニーランドだった、なんてのは少なくとも私にとっては初耳学でした。
15歳でQUIET RIOTのライブに魅了されてファンクラブを組織し、18歳にしてレコード会社への契約嘆願デモまで組織したという女性の存在など、QUIET RIOTは人に恵まれていたバンドだったんだな、と思いました。
ランディ在籍時のQUIET RIOTについては、アルバムが日本だけでリリースされていたというのは割と有名な話ですが、本作に「証言者」として一番高頻度で登場する当時のQUIET RIOTのドラマー、ドリュー・フォーサイスは「日本人は音楽よりもルックスを評価する。ルックスも大事なんだなと思い知らされたよ」と皮肉っぽく日本人のことをディスっていました(苦笑)。
まあ、日本先行で人気が出たバンドというとQUEENだったりCHEAP TRICKだったりBON JOVIだったり、なんだかんだルックスがいい(全員ではないにせよ)バンドが多く、QUIET RIOTが日本だけでリリースされていた時期に日本で人気だった洋楽ロック・バンドというとBAY CITY ROLLERSなので、否定はできないなと(笑)。
スクリーンで見ていて印象的なのは、なんといってもランディ・ローズの美しさで、ランディが伝説化した理由の一因は音楽的な部分もさることながら、なんだかんだ言ってルックスによる所も大きいと思います。
ランディ・ローズのルックスはいわゆる「優男」であり、日本人には非常に好まれそうなタイプの容姿だと思いますが、例えばRATTだと優男系のウォーレン・デ・マルティーニよりもワイルドなロビン・クロスビーの方が人気があったというアメリカ人にとってはどうなのでしょうか。
ランディがギタリストとしていかに凄かったか、ということはもはや伝説になっているので皆そう言うのは当たり前というか、そもそもアメリカ人はリップサービス過剰なのであまり真に受けるのもどうかと思いますが、人柄についても様々なエピソードから謙虚なナイスガイだったことが明らかで、その辺も日本人好みなキャラクターだなと思います。
ランディ・ローズのプレイの特徴とされるクラシカルな要素については楽曲レベルで顕著に表れているのは"Mr. Crowley"や"Revelation (Mother Earth)、"Diary Of A Madman"といった曲に限られると個人的には思っています(もちろんエッセンスとしてはそれ以外の曲にも散りばめられているので、ちょっと了見の狭い意見かもしれません)。
ランディはOZZY OSBOUENEを脱退してもっとクラシックの勉強を学びたいと言っていたそうなので、もし生きていたらOZZY OSBOURNEのバンドではないにせよ、よりクラシカルなプレイを極め、そういう楽曲を書いてくれたのではないかと思うと残念でなりません。
一方で、人というのは他人の期待通りに生きてはくれないものなので、もしかしたら趣味が高じてクラシック・ギタリストになってしまい、メタル・ファンとは関係のない世界に行ってしまったかもしれませんし、映画中でも語られている通り、ランディの本質はクラシックではなくロックだ、ということに本人が気づいて、普通にメタル・ギタリストとして名声を高めていたかもしれません。
下手すると90年代にはグランジに目覚めてしまっていたかもしれないし、OZZY OSBOURNEのバンドを脱退・再加入を繰り返す、みたいなザック・ワイルド的な存在になっていたかもしれず、こればかりは何とも言えませんね。
本作はさすがにぼちぼち上映終了してしまうと思いますが(シネマカリテでは12月22日までと告知されています)、基本的にインタビューと過去の写真をメインにしたドキュメンタリー映像なので、ぶっちゃけ大画面で観る必然性は薄く、そのうちサブスクで観られるようになると思いますので(?)、観たかったけど上映中に観に行けなそう、という人はそれからでも遅くないと思います(笑)。
◆映画『ランディ・ローズ』公式サイト

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