fc2ブログ

映画『ランディ・ローズ』感想

死後40年経ってなお未だに高い人気を誇り、昨年2021年には「ロックの殿堂」入りを果たしたギタリスト、ランディ・ローズのドキュメンタリー映画『ランディ・ローズ(原題:"Randy Rhoads: Reflections of a Guitar Icon")』を観てきました。

先月11月11日に公開されており、ここしばらく忙しかったので観ることができず、さすがに公開から1ヶ月以上経っているしもう上映終了しているかな…と思ったらまだ上映されていたので新宿シネマカリテに足を運びました。

96席のミニシアターで半分以下の埋まり方だったので、せいぜい40人くらいの観客だったでしょうか。当然ながら年齢層と男性率が高めでした(苦笑)。

内容はランディの生涯を辿るドキュメンタリーですが、彼の名前を有名にしたOZZY OSBOURNE時代ではなく、QUIET RIOT時代により多くの時間を割いているのが特徴。

Wikipediaによると「この映画は2007年に制作されたもののランディの遺族が納得いかず没になったもので、それをランディ没後40周年に合わせて手を加え、遺族には一言の断りもなく完成させた。オジー・オズボーンには承認を求めたが拒否された為にオジーの楽曲は一切使用されていない」とのことなので、色々事情あってこうなっているのかもしれませんが(一応、オジーは登場します。さすがに)。

そんないわくつきとはいえ、驚いたのはメジャー・レーベルとの契約すらできなかったQUIET RIOT時代の映像や写真がかなり豊富に残っていたことで、そういう意味での資料的な価値は高いと思われます。

写真の豊富さは、QUIET RIOTのヴォーカリストだったケヴィン・ダブロウが写真が趣味で、カメラ友達がバンド専属カメラマンをやっていてくれたからという事情がありそうです。

ランディ・ローズの恋人はケヴィン・ダブロウの元カノで、ファーストデートはディズニーランドだった、なんてのは少なくとも私にとっては初耳学でした。

15歳でQUIET RIOTのライブに魅了されてファンクラブを組織し、18歳にしてレコード会社への契約嘆願デモまで組織したという女性の存在など、QUIET RIOTは人に恵まれていたバンドだったんだな、と思いました。

ランディ在籍時のQUIET RIOTについては、アルバムが日本だけでリリースされていたというのは割と有名な話ですが、本作に「証言者」として一番高頻度で登場する当時のQUIET RIOTのドラマー、ドリュー・フォーサイスは「日本人は音楽よりもルックスを評価する。ルックスも大事なんだなと思い知らされたよ」と皮肉っぽく日本人のことをディスっていました(苦笑)。

まあ、日本先行で人気が出たバンドというとQUEENだったりCHEAP TRICKだったりBON JOVIだったり、なんだかんだルックスがいい(全員ではないにせよ)バンドが多く、QUIET RIOTが日本だけでリリースされていた時期に日本で人気だった洋楽ロック・バンドというとBAY CITY ROLLERSなので、否定はできないなと(笑)。

スクリーンで見ていて印象的なのは、なんといってもランディ・ローズの美しさで、ランディが伝説化した理由の一因は音楽的な部分もさることながら、なんだかんだ言ってルックスによる所も大きいと思います。

ランディ・ローズのルックスはいわゆる「優男」であり、日本人には非常に好まれそうなタイプの容姿だと思いますが、例えばRATTだと優男系のウォーレン・デ・マルティーニよりもワイルドなロビン・クロスビーの方が人気があったというアメリカ人にとってはどうなのでしょうか。

ランディがギタリストとしていかに凄かったか、ということはもはや伝説になっているので皆そう言うのは当たり前というか、そもそもアメリカ人はリップサービス過剰なのであまり真に受けるのもどうかと思いますが、人柄についても様々なエピソードから謙虚なナイスガイだったことが明らかで、その辺も日本人好みなキャラクターだなと思います。

ランディ・ローズのプレイの特徴とされるクラシカルな要素については楽曲レベルで顕著に表れているのは"Mr. Crowley"や"Revelation (Mother Earth)、"Diary Of A Madman"といった曲に限られると個人的には思っています(もちろんエッセンスとしてはそれ以外の曲にも散りばめられているので、ちょっと了見の狭い意見かもしれません)。

ランディはOZZY OSBOUENEを脱退してもっとクラシックの勉強を学びたいと言っていたそうなので、もし生きていたらOZZY OSBOURNEのバンドではないにせよ、よりクラシカルなプレイを極め、そういう楽曲を書いてくれたのではないかと思うと残念でなりません。

一方で、人というのは他人の期待通りに生きてはくれないものなので、もしかしたら趣味が高じてクラシック・ギタリストになってしまい、メタル・ファンとは関係のない世界に行ってしまったかもしれませんし、映画中でも語られている通り、ランディの本質はクラシックではなくロックだ、ということに本人が気づいて、普通にメタル・ギタリストとして名声を高めていたかもしれません。

下手すると90年代にはグランジに目覚めてしまっていたかもしれないし、OZZY OSBOURNEのバンドを脱退・再加入を繰り返す、みたいなザック・ワイルド的な存在になっていたかもしれず、こればかりは何とも言えませんね。

本作はさすがにぼちぼち上映終了してしまうと思いますが(シネマカリテでは12月22日までと告知されています)、基本的にインタビューと過去の写真をメインにしたドキュメンタリー映像なので、ぶっちゃけ大画面で観る必然性は薄く、そのうちサブスクで観られるようになると思いますので(?)、観たかったけど上映中に観に行けなそう、という人はそれからでも遅くないと思います(笑)。

映画『ランディ・ローズ』公式サイト









randyrhoadsmovie.jpg
スポンサーサイト



映画『ロード・オブ・カオス』感想

ブラック・メタル黎明期の出来事を、MEYHEMのギタリストであり、BURZUMのカウント・グリシュナック(ヴァーグ・ヴァイカーネス)に刺殺されたユーロニモスを主人公に描いた映画、『ロード・オブ・カオス』を観てきました。

原作は『ブラック・メタルの血塗られた歴史』という本で、これも読んだことがありましたが、関係者インタビュー集のような本で、ほとんど頭に残っていなかったというのが実際のところ。

ただ、このユーロニモス殺害に至るエピソードというのは『BURRN!』誌でも掲載されたことがあったし、この映画の字幕監修をしている川島未来氏がやっていたSIGHのホームページ(当時)などにも情報が記載されており、事実としてのアウトラインは把握していた。

そして本作のストーリーはほぼそのアウトラインに沿って展開しており、登場人物の性格や関係性、細かいエピソードなどについては脚色されているにせよ、「きっとこんな感じだったんだろうな」と納得できるものになっている。

基本的にはイキりたいだけの若者だったユーロニモスが、デッドやヴァーグ(ヴァイカーネス)のような本当にヤバい奴が寄ってきてしまったことで破滅する物語で、教会を燃やすのも、殺人事件も、ひと昔前の不良少年の「誰が一番ワルか」を競うようなメンタリティと変わらない。

どれだけイキろうと、結局警察に見つかったら終わり、という時点で大した存在になれていないということを認識できないのが若さというものなのでしょうか。

そういうリアルな面が描かれていることで、ブラック・メタルを神聖視(悪魔崇拝を打ち出す音楽に対してこの言葉を使うのも妙な話だが)し、ユーロニモスやヴァーグを本気で崇拝しているようなコアな筋からは批判もあるようだが、そういう新興宗教じみた所も含めて本作はある種の真実を浮かび上がらせている。

ただ、個人的にはそのリアルさは正視に耐えないもので、R-18なのも納得。特にデッドの自傷シーンの生々しさは思わず目を閉じずにはいられませんでした。

このサイト/ブログを長年お読みいただいている方であればご存知の通り、私はブラック・メタルを愛好する人間ではなく、90年代にはちょっと面白いと思って半ば怖いもの見たさでBURZUMやEMPEROR、DARKTHRONE、MURDUKなどを聴いてみたりもしましたが(周囲に好きな友人がいたことが大きいですが)、結局魅力を感じたのはCRADLE OF FILTHやDIMMU BORGIRなど、シンフォ・アレンジによってメロディ的なフックが備わっていたバンドくらいでした。

そんな私でも、この映画は人間社会の中で、特に閉じられた狭い集団の中でどのような狂気が起きうるかを描く、ある意味普遍的な内容として考えさせられるものがありました。ここまで過激な挙には及ばないにせよ、インナー(ブラック)・サークルは様々な組織、企業、学校の中に存在していると思います。

なお、個人的に本作にまつわる情報を集めて一番驚いたというか感銘を受けたのは、この映画の監督であるジョナス・アカーランドが、元々は元祖ブラック・メタルとされるBATHORYのメンバーで、その後映像監督に転身し、マドンナやポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズやレディー・ガガ、メタリカなどのMVを手掛ける売れっ子監督になったという事実。この界隈の出世頭ですね。



▼本作の撮影中に、本作のキャストやセットを使って撮影されたMETALLICA "Manunkind"のMV


lordsofchaos.jpg

映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』感想

フィンランド映画史上最大規模の制作費を投じて作られたという触れ込みのメタル映画、それも私が愛してやまない「北欧メタル」をタイトルに冠しているとあっては観に行かないわけにはいかないと思っていました。

しかも音楽を手掛けているのがSTRATOVARIUSのラウリ・ポラー(B)ですから、それだけでもチェックせずにはいられません(というか、私が知らなかっただけで彼は他にも映画音楽やオーケストラ作品を手掛けているそう。さすがシベリウスの曾孫ですね)。

結論から言います。めっちゃ笑えます。

正直、欧米人の笑いの感覚って日本人とはちょっと違うよな、と思っている私ですが、今回はまあ~笑いましたね。

私は映画館で声出して笑うのってマナー的にどうなの、なんて思ってしまうどちらかというと堅い人間なのですが、もう周りが途中で徐々にこらえきれずに噴き出していき、途中からは「この映画は笑ってもいいんだ」という空気になっていたので、後半はもうドッカンドッカン笑いが起きてました。

ドッカンドッカンと言っても、客入りそのものが5割以下だったので音量としては大したデシベルではないのですが。

公開直後の週末でこの客入りだと上映期間は長くないと思われるので(苦笑)、ご興味ある方はさっさと観に行きましょう。

ネタバレと言われない程度にざっくりとストーリーを話すと、フィンランドの陰キャ揃いのデス・メタル・バンドがノルウェーの大規模メタル・フェスに出ることを目指す話で、それだけ聴くとそんなに面白くなさそうなのですが(?)、ひとつひとつのシーンがもうネタとユーモアの連続。

特にメタルについて詳しくない人でも笑える普遍性もありますが、メタルについて詳しい人ならなおのこと笑えます。ミリタリーネタがぶっ込まれている意味とか、ヴァイキングが出てくる意味とか、北欧のメタルをよく聴いている人でないとわかりませんよね。

メタルを題材にしたコメディ・ムービーというと日本にも『デトロイト・メタル・シティ』という作品があるわけですが、あれはメタルに対する誤解や偏見に立脚していて、メタル・ファンにとっては手放しで楽しめない部分もあったのですが、本作はさすが世界一メタルが盛んな国として知られるフィンランドの映画だけあって、ちゃんとメタルのことをわかっている、そして愛していることが明らかで、純粋に笑うことができる。

オリジナル曲を作ろうしてギタリストが弾くリフが「そりゃPANTERAの"Walk"だろ」「それはCHILDREN OF BODOMの"Every Time I Die"だ」とベーシストに次々突っ込まれ、しまいにはMORS SUBITAの"The Sermon"などというコアな所までたどり着いてしまうあたり、「ああ、この作品は信頼できるな」と思えます(笑)。

ちょっとネタバレですが、途中メンバーの1人が亡くなった時にベーシストが読み上げる弔辞(?)がBLACK SABBATHの"CHILDREN OF THE SEA"の歌詞だったりするあたりもニヤリとさせられます。

ちょっと意外だったのは、人口10万人に対して53.2のメタル・バンドが存在する(ちなみに日本は1.1。つまり密度的には日本の50倍だ)とされるメタル大国であり、最も国際的に成功したアーティストはHIMとNIGHTWISH、2018年に国内で一番売れたアルバムはAMORPHISの"QUEEN OF TIME"という彼の国でも、メタル・ミュージシャン(風のルックスをした人)は地元のヤンキー(?)に「ホ~モ。髪切れよ」と茶化され、ブラック・メタルのコープス・ペイントは「タヌキ野郎」と罵倒されている、ということ。

相対的には世界一のメタル大国であるフィンランドでも、やはり世間一般においてはキワモノでしかないというのは「やっぱりメタルはそういう存在でしかありえない」ということを実感させられる光景でした。

デス・メタル・バンドのメンバーである主人公たちがそれぞれ介護の仕事や図書館の司書やトナカイの食肉工場(実家)勤務など地味な仕事をしている辺りはリアリティがあるし(前述の通り、2018年フィンランドで一番売れたアルバムはAMORPHISのアルバムなわけですが、それでも1万枚程度の売上というから、マイナーなバンドが音楽で飯が食えるはずもない)、主人公の移動手段もバイクではなく自転車、女の子をデートに誘うときも「飲みに行かない?」ではなく「コーヒーでも一緒にどう?」というあたりも、当地でメタルをやっているのは意外とこういう素朴な人たちなのかもなあ、という気分にさせられます。

主人公たちのバンドが標榜する「終末シンフォニック・トナカイ粉砕・反キリスト・戦争推進メタル」というジャンルも、一番意味不明な「トナカイ粉砕」の意味がわかるシーンは場内爆笑でした(※前述の通り総音量は小さめ)。

しかし、面白いは面白いのですが、これがフィンランド映画史上最大規模の費用が投じられていると聞くと、これまでどんだけ低予算な映画ばかりだったのか、という気にさせられます(笑)。

たしかにアキ・カウリスマキの映画とか地味だったもんなあ…。まあ、人口が500万人くらいしかいないという時点で、かけられる予算もそれに見合ったものにしかならないというのはわかるのですが。

ちなみにパンフレットも「お勧めフィンランド・メタル20選」とか、メタル・ファンであれば楽しめるコンテンツが色々と載っているので、劇場に行かれた方はお買い求めを。私は買いませんでしたが、Tシャツもありました。



『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』公式サイト

映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』 応援コメント大量到着&シネマート新宿“デスボイス”割引実施決定(amass)

実話を超えた!? リアリティとメタル好きだからこそ笑えるネタ満載! 映画『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』の見どころを紹介!(rockin'on.com)

マーティ・フリードマンに訊く、映画「ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!」の観どころ 「すべてのヘヴィメタルを祝福しているような感じがしたよ」(Mikiki)

【西山瞳の鋼鉄のジャズ女】第22回 映画「ヘヴィ・トリップ」感想――メタラーの真面目さをリスペクトして可愛がる映画!?(Mikiki)

フィンランド映画史上最大規模の巨費を投じ世界中の映画祭で大号泣と大爆笑!超話題のメタルコメディムービー『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』(cinefil)

heavytrip.jpg

映画『ボヘミアン・ラプソディ』感想

今更ですが、大ヒット中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきました。2日連続で。

2日とも東京ミッドタウン日比谷にあるTOHOシネマズ日比谷で、昨日の土曜日に最新・最高の音響設備であるドルビー・アトモスで1回目を、そして本日の日曜日に「応援上映」で2回目を観てきた次第です。

とはいえ実は私はQUEENの大ファン、というほど熱心なファンでもないのですが、アルバムはあらかた聴いたことがあるし、当時の上司がファンだったので、新宿コマ劇場で上演されたミュージカル、『ウィ・ウィル・ロック・ユー』も2005年と2006年の両方観ています。

この映画のタイトルである「Bohemian Rhapsody」や、そのミュージカルのタイトルである「We Will Rock You」なんて、あまりに個性的過ぎて、もはや好きとか嫌いとかいう領域を超えて耳に、記憶に、心に残ってしまうとんでもない曲です。

THE BEATLESなどと共に、史上最も伝説的なロック・バンドのひとつだけに、恐らくこれを超えるロック・ムービーというのは今後なかなか出てこないだろう、ドルビー・アトモス上映や応援上映が行なわれる音楽ムービーが(私の興味の持てるジャンルで)どれだけ出てくるだろうか、と考えると、2日連続鑑賞というイレギュラーな行動に出たのもやむを得ないことでしょう(?)。

ストーリーについては、伝記ものなのでネタバレもクソもないというか、このブログを読むくらい音楽を愛している人なら、当然QUEENのヒストリー的なものはなんとなくは知っていると思いますし、そもそも公開から1ヶ月経っている大ヒット映画なので皆さんご覧になっているでしょう。

フレディのバックグラウンドが軽く描かれた後、QUEENのメンバーおよびメアリーとの出会い、QUEENの成功とから、フレディの孤独感による迷走と、バンドメンバーとの衝突、そして和解からのLIVE AIDという流れは、多少の脚色(LIVE AIDの前の活動停止状態は完全に史実とは異なるが)や時系列の変更はあれ、基本的に実話ベースなので、「プロが考えた作り話」である一般的な映画ほどにドラマティックなわけではない。

とはいえやはりロック好き、特にバンド経験者にとっては共感できるシーンも多くて興味深いし、何と言っても役者が演じているとは思えないライブ・シーンの迫力は見事なもので、ラストのLIVE AIDのシーンは否が応でも感動させられてしまう。

極論すれば、それまでのエピソードは全て最後のLIVE AIDのシーンで感動するための材料だったのではないか、という気さえするんですよね。観客は徐々に温められて、最後のステージで沸騰する、という仕組みです。

そしてドルビー・アトモスは期待通りの素晴らしい音響で、かつて『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』を観た時以来の極上音響でした。

翌日の「応援上映」はドルビー・アトモスではなかったわけですが、まあ新しい劇場だけに充分いい音ではありました。違いがわからないというほど耳が肥えていないわけではありませんが。

「応援上映」を観るのは初めてなので、どんなものかとやや身構えて最後列で観ましたが、開演時(あの20世紀FOXのジングルがQUEENっぽいギター・サウンドで鳴らされる)に拍手が起こり、あとはライブ・シーンでサイリウムがチラホラ振られたり、手拍子が起こったりという程度(あとは演奏シーンが終わると拍手が起こる)で、てっきり大合唱が起こるのかと思っていたのでちょっと拍子抜け。

まあ、隣の人の微妙な歌声(かどうかわかりませんが)を聴かされるのもアレなので、ある意味安心しましたが…。

これは日比谷という民度の高いエリアの劇場だったからおとなしかったのか、それとも公開から1ヶ月経って、本当に熱心なファンはもう気が済むまで観終わっていて来場していないからなのかは不明です。大合唱だった、という劇場もあるんでしょうか。

私は割と空気を読む方なので、ほどほどに手拍子するにとどめておきました(笑)。

「QUEENの映画」というよりは「フレディ・マーキュリーの映画」ではありますが、70年代・80年代は現役のバンドとして人気があり(当時を知る人によればやや色物っぽい存在感だったようですが)、90年代はフレディ・マーキュリーの死によって伝説になり、2000年代はドラマの主題歌で大ヒット、そして2010年代はこの映画が大ヒットと、この50年間で最も継続的に日本人の関心を集めた海外のロック・バンドはQUEENだったと言えるかもしれません。

そもそもQUEENってこのサイト/ブログで扱うようなHR/HMアーティストなのか、という疑問を持つ方がいそうなくらいにビッグで伝説的な存在になっているわけですが、まあハード・ロックだった時期がある、あるいはハード・ロック的な楽曲がある、ということは言えると思いますし、少なくともハード・ロックの要素があったことは間違いないと思うので、このサイト/ブログで扱うべきアーティスト、映画であると考えています。

ということで、万が一HR/HMではないので興味がない、などと思っている方は上映しているうちに映画館で観て、その音楽の持つエネルギーを感じていただきたいと思います。

細かい話ですが、『ウェインズ・ワールド』のウェイン役だったマイク・マイヤーズが「Bohemian Rhapsody」に難癖をつける役で出演しているのは、きっと偶然ではないのでしょうね(笑)。

なお、この『ボヘミアン・ラプソディ』についてのエントリーの前のエントリーがイタリアの「ラプソディ」についての内容になっているのは偶然です(笑)。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』公式サイト



こちらはオリジナルのLIVE AIDにおけるQUEENのステージですが、これを観るといかに映画が「完コピ」であるかということがよくわかります。




bohemianrhapshodymovie.jpg

映画『スパイナル・タップ』感想

なぜかオリジナルの公開(アメリカ)から34年経った中途半端なタイミングで日本初劇場公開されている『スパイナル・タップ』を新宿武蔵野館で観てきました。

ヘヴィ・メタルと何かしらの形でゆかりのある映画というのはぼちぼちあるのですが、映画としてマトモに評価されているのは『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』とこの作品くらいのものでしょう(あと強いて言えば『ウェインズ・ワールド』?)。

今日はたまたま仕事が早く切り上げられたから21時の回を観に行ったのですが、「映画の日」でチケット代が1000円だからか、上映開始から既に2週間以上経った平日夜の回にもかかわらず半分以上の席が埋まっている。

内容については、ロキュメンタリー(ロック・ドキュメンタリー)を装ったモキュメンタリー(モック・ドキュメンタリー=ニセのドキュメンタリー)で、架空のバンド「スパイナル・タップ」のツアー・ドキュメンタリー的な内容になっている。

基本的にアメリカ人と日本人のユーモア・センスというか笑いのツボは異なるので(当時日本公開されなかった理由のひとつだろうと思われる)、アメリカ人ほどに本作で笑える日本人は少ないと思われるが、ボリュームの目盛りが11まであるアンプ、発注時に単位を間違えてミニチュア・サイズで出来上がってしまったステージ・セット、楽屋からステージまでの導線で迷子になるメンバーなど、劇場内でも笑いが起きた、わかりやすいシーンも結構ある。

しかし、本作が特にミュージシャンに高い人気を得たのは、ヴォーカリストとギタリストの確執、やたら交代するドラマー、トレンドに合わせて節操なく変わっていく音楽性、メンバーの彼女がバンド活動に口出ししてきてメンバー間の仲が悪くなることなど、当時の「バンドあるある」な話が盛り込まれていたからだという。

DOKKENのジョージ・リンチはこの映画を観て「自分たちの映画だ」と思ったそうだし、オジー・オズボーンやディー・スナイダー(TWISTED SISTER)も楽屋からステージまでの導線で迷子になったことがあるという(笑)。

極めつけは、METALLICAのメガ・ヒット作である『ブラック・アルバム』のアートワークは、本作で描かれる彼らの真っ黒なジャケットのアルバム『SMELL THE GLOVE』へのオマージュだというエピソードが、本作のHR/HM界隈への影響力を示す最たるものだろう。

その『SMELL THE GLOVE』が真っ黒なジャケットになった理由が、「オリジナルのアートワークがあまりにスキャンダラスだから」というのも、SCORPIONSのファンを筆頭に、レコード会社との軋轢エピソード含めて、歴の長いHR/HMファンなら「あるある」な話だと思うことだろう。

ネタバレながら本作のラストは大成功の日本公演で幕を閉じるのだが、欧米では「終わった」バンドが、日本だけで人気がある、みたいな現象も含めて、「ロックあるある」な話であると個人的には強く感じさせられた。

冒頭でも述べた通り、本作は純粋に映画として高く評価されていて、映画史に残るカルト映画的なポジションを確立している。その辺の話はウィキペディアでも読んでいただくとして、本作が「メタルな映画なのか?」ということこそがこのブログの読者の方にとっては重要なことだろう。

ただ、残念ながらその問いに対しては「否」と答えざるを得ない。

確かに本作は基本的にHR/HMバンドのモキュメンタリーである。何度も映し出されるライブ映像シーンで演奏される音楽は、本作が制作された1984年当時、まさに人気絶頂を迎えようとしていたHR/HMと思しきサウンドである。

だが、本作で描かれているのはそういう人気絶頂のHR/HMに対する風刺やパロディであって、ジョークとユーモアに貫かれている。

それに対して、私が愛しているHR/HMという音楽は、いかに傍から見て滑稽であろうと、その音楽世界は決してジョークではなく「マジ」なのであり、「マジ」であるからこそアツい魅力に満ちているのだ。

とはいえ、現実社会に生きる人間としてHR/HMのカッコよさと滑稽さの紙一重な部分は認識しておくべきだし、単純に映画として面白かったりするので、HR/HMファンの一般教養(?)としてこの機会にご覧になってはいかがでしょうか。

ちなみに、私はDVD持ってるのに観に行きました(笑)。

映画『スパイナル・タップ』公式サイト

※映画館内の展示風景
spinaltap_theater2018.jpg